1970年、私はいわくら病院に医師として赴きました。
1952年に開設されたいわくら病院は、伝統ある精神科の病院でしたが、労働運動を共に戦っていた医師全員が辞め、院長一人が診療にあたるという異常な事態を迎えていました。そこに私は他の5人の医師とともに就職したのです。
この医師たちが揃って医療現場の改革を訴えました。当時日本でも少しずつ取り入れられつつあった開放医療を志したのです。
その頃のいわくら病院は、強力な看護力で一定の評価を得ていました。しかしそれは看護師のみでなく、資格を持たない看護助手たちが、恐怖によって患者さんたちを支配し、無理矢理言うことを聞かせるというものでした。言葉は悪いですが、監獄のような状態が当たり前の世界だったのです。この看護人たちは地元出身の人びとで、経営者との血縁関係であることも多く、よそからやってきた医師や看護師たちに有無を言わせない体制を作り上げていました。彼らにとって医師や看護師は3、4年で辞めてしまう、通行人も同然の存在でした。
そんな中、私たち6人は、治療の主体性は患者側にあること、その人権はあくまで尊重され、患者さんは人間的に扱われなければならないことを訴え、それまでの病院のやり方をすべて否定していきました。当然院内は大混乱、特にポッと出の医師たちに、自分たちが築いてきたものを壊されると感じた看護人たちの反発はすさまじいものがありました。「きれいごとを言って、どうせ3年たったら辞めるやないか」。彼らはそう主張し、危険な目に遭っても助けてやらないぞと脅された医師や看護師もいました。
この時期はつらかった。文字通り、命を削るような日々でした。5人の仲間がいなかったら、きっと逃げ出していただろうと今でも思います。
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