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気がかりのセンサー | おもしろ発信基地 | 京都 いわくら病院 医療法人稲門会 精神科 老人介護保健施設(老健)訪問看護

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気がかりのセンサー

看護の仕事の8割は観察だと思う。それぞれのスタッフが何を観察するかは、その人の「気がかりのセンサー」によって決まる。「気がかりのセンサー」はスタッフそれぞれみんな違う。訴えの多い患者さんや状態が良くない患者さんには誰もが気がかりを向けるが、一方であまり目立たない患者さんにもきちんと眼差しを向けているスタッフがいる。頼もしいと思う。


 そのスタッフの「気がかり」は、そのスタッフの看護に表れる。看護は先ほど書いたように8割が観察だから、目立たない患者さんへの「気がかり」は必ずしも看護には表れない場合も多いけれど、「ただ、患者さんのことを思う」ことだって大切な看護だということを、そのスタッフはちゃんと知っている。



 「気がかり」の本来の意味は、「気になって自然と心に浮かぶ」様子をいう。だが看護でいう「気がかり」はもう少し能動的な心の向きを含んでいるように思う。自然に心に浮かんでくるというよりは、対象を「もの思う」ことによって意識がそこに向かうようなニュアンス。つまり看護の「気がかり」は、目くばりや声かけ心くばりをいうのだろう。


 もの思うことで対象に意識が向かうようになるには、少し訓練というか工夫がいる。忙しくバタバタ業務をこなす毎日ではもの思うゆとりなど持てないし、目くばりも声かけも、向けられる範囲はとても限定されてしまうだろう。看護師はあまり忙しく働いてはいけないのだ。

 


 業務が忙しい、記録が忙しい、会議が忙しい…。たしかにみんなとても忙しい。不可抗力的に忙しい。だからこそ、自分で意識して立ちどまってみないと、もの思うゆとりは延々とれない。看護の質を上げたければ、自分から意識して立ちどまることだ。試しに1日にほんの10分、一ところにとどまって患者さんのことを思う時間をとってみれば、それがいかに難しいかに気づくだろう。みんな立ちどまれない。それは忙しさのせいというよりむしろ、そこに立ちどまることの不安の方が大きい。


 立ちどまること、とどまってある対象に向き合うこと、つきあうこと。これができるかどうか。そのことと精神科看護の質とは深い関係がある。そんな気がしてならない。



 そういう私自身の気がかりセンサーは今この問題に向けられているのだが。





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