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人の数だけの看護がある | おもしろ発信基地 | 京都 いわくら病院 医療法人稲門会 精神科 老人介護保健施設(老健)訪問看護

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人の数だけの看護がある

前回に引き続き、いわくららしさというものについて
考えてみたいと思います。

 

いわくらにももちろんルーチンの業務というのはあるのですが
スタッフ一人ひとりの裁量に任されている部分もかなりあります。

一人ひとりの裁量に任されているということは
看護の幅というものが
スタッフの個性や、能力や、価値観(看護観・人間観)や…
そういうものに左右される部分をかなり含んでいるということです。

カンファレンスをしても実に多様な意見が出てきます。

 

 

精神看護が人間対人間の看護だとするならば
人間の数だけの看護があるはずで
どれが正解でどれが間違いとは言えないはずです。

そういうやり方を今までしてきたということが
いわくらの文化というもののまた一つの側面であるように思います。

 

若いスタッフや、他科から移ってきたスタッフは
まず初めにこの自由さに戸惑うようです。
何をやっていいかわからない。
「自由にかかわっておいで」と言われてもすぐには動けないのですね。

 

 

治療者、看護者というよろいをいったん脱ぎ
1人の人として、関係を築いていく中で
だんだん患者さんと「ともにある」ということの意味が分かってきて
何をどう関わればいいのか、すこしずつ見えてくる。

 

そしてようやく
「患者さんと回る寿司を食べに行きたい」
「患者さんと映画を観にいきたい」といった自由さが出てくるのです。

 

念のために言うと
それは、決して患者さんと友達になるということではないのです。
「患者さんとともにある」ということが
あくまで治療者としての意図された行為として
目指すべき目的に向かって
さりげなく提供されるということ
それがプロの治療者の技術だということだと思います。

 

 

そういう精神医療のプロを育てること
しかしあくまでプロをひけらかさず
そこらのおっちゃんおばちゃん
ただのにいちゃんねえちゃんであること


そういうことをいわくらでは大切にしてきたんではないかと思います。

 




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